ココカラメンテナンス

ココ(心)カラ(体)をメンテナンス(癒す)するためにはどうすればいいの?私たちのあり方から体のあれこれまで、発信します。

体のゆがみが教えてくれること

 

こんばんは。NAORUです。

涼しくなったと思ったら…残暑ってすごく暑い季節なのですね(笑)

 

体を扱う場所に出向くと必ず言われていたことがあります。

「ゆがんでますね」

そうです。ゆがんでます。

その時々でゆがみの差こそあれ、そこそこ色んなところが骨格標本と違ってます。

 

きっと大抵の人はそうだと思います。

体形が大切なモデルさんとかだと、気を使って整えたりしてるんでしょう。

幼いころから意識していれば別でしょうけど、そんなことなかなかできませんよね。

大人になってからゆがみを失くそうとすると本当に大変。

だけどそんなこと言っても、いつの間にかゆがんでるんだもの。

 

よく体の歪みに焦点が当てられて「ゆがみを直そう!」なんてメディアでも取り上げられたりしますけど、個人的にはそこまで悪者にしなくてもいいかな、とか思ってます。

だって、ゆがみって今まで生きてきた証のようなものですから。

 

ゆがみは、その人の今までの生活や考え方を表してます

考えがゆがんでる、とかじゃないですよ~(笑)

 

日本人は床に座って食事をする文化ですから、正座か胡坐、もしくは横座り、ぺたんこ座りなんてものをしながら長時間を過ごすわけです。

そうすれば足はO脚やX脚なりやすく、横座りだと体は傾きやすい。

勤勉で真面目で控えめな日本人、道を行くときはどうしても斜め下を見て(もしくはうつむいて)、女性はガニマタで歩くなと言われて育つ。

そうすれば猫背、X脚にもなりましょう。

 

仕事や家事に追われ、睡眠もままならずいつも疲れて過ごしていれば体を支えるのが辛くなります。

椅子に浅く腰かけて背もたれに深々と座りながら通勤、仕事、運転をしていたら、椎間板に負担がかかって腰に問題が出てくるかもしれません。

ストレス解消のために移動中や休み時間にゲームを…といつも俯いていると、気づけばストレートネックになっていたり。

小さな頃からTVで見ている憧れの女優さんや俳優さんを真似して足を組んでいたり、毎日重い荷物を肩にかけて歩いていたら、癖にもなって体が傾いてしまいます。

ヒールや革靴を履いて仕事で長時間歩けば外反母趾にもなりますし、過酷な部活やスポーツを経験していれば肩や膝が変形したりもします。

 

さぁ、ここまで書けば満足!

これはどういうことでしょう!?

 

そう、今まですごーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーく

がんばって!!!がんばって!!!!!!

生きてきた証です!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

自分をほめてあげていいんです。

そして、たまには思い切り休んでいいんです。

 

時間が許せば、まずは心と体を休めてほしい。

そして心と体が喜ぶようなことをしてあげてください。

 

どうすればいいかわからない、深く癒されたい、いろいろ治したい、という方は、お手伝いをさせていただきます。

準備ができ次第、ご案内しますm(_ _)m

 

 

自分が変わると自分の周りの環境も…

 

こんにちは。NAORUです。

今年の台風はいつもと全然違う方向を通って行ってしまいますね。

九州は平和ですよー。

 

自分が変わると周りの人や環境も変わる、なんてことを聞いたりする。

そうなんだろうな、だけどさてどういうことなんだろう?

 

結論から言うと、「自分が変えているから変わってる」ということだと思うんです。

当たり前でしょう、と思った方、そうなんです。

なんだか夢がないなーと思った方、そうでもないかもしれません。

 

人生のステージが変わった時に周りの人や環境が変わるのは誰しも経験があることでしょう。

就職、結婚、出産、転職、とか。

 

職場が変われば人間関係が変わるし、引越すればそもそも全く知らない土地に行くかもしれないし、結婚したり子供が生まれたりすると、必要な知識も変わったり今まで立ち寄らなかった場所に行くことも増えるので、自分のコミュニティが変わる。

環境が変わると自分の必要とするものが変わるから、本当は今まで大事にしてきたモノやすごく仲の良かった友人まで、誤解を恐れずに言うならば「必要なくなる」のかもしれない。

 

ある意味、そういうことに近いのかなと思うのです。 

 

特に人生のステージが変わらずとも、あるキッカケで「自分自身が大きく変わる」という経験をする人もいるかもしれない。

もし自分の気持ちや方向性、性格や身体面など、自分自身が大きく変わったら。

もしかしたら環境や仕事を変えたくなるかもしれないし、自分が必要とする知識やモノもかわるかもしれない。そこに関係する人も。

 

つまり、自分が変わると、自分が見るものや欲しいものが変わるんですよね。

大切にするものも変わるし、いらないものも出てくる。

 

いままで気づかなかった大切にしたいものや欲しいもの、出てきたらそれを見る機会が増える。それをその時の環境にいる人に伝えてみたら、もしかしたらその人が後押しをしてくれたり、うっかりその欲しいものを持っていたりする人かもしれない。

 

いままですごく仲良しだった友人が自分が大切にしたくなったことを大切に思わないかもしれない。もしかしたら、変わった自分を見て、友人が離れていくかもしれない。

 

そんなことで、周りの人や環境が変わるのかな、と思うのです。

当然といえば、当然。

でも、けっこう夢もありませんか?

 

自分がちゃんといつもアンテナ立てていれば、実は自分の周りにはそれを助けてくれる人やモノがたくさんあるということです。

逆に去っていくものもありますけどね。。

 

実は私自身、とても仲の良かった友人が最近疎遠になりまして。

私が変わったからその結果だと思い受け止めていますが、正直すごーく寂しい気持ちです(笑)

 

これも仕方のないこと。

ステップアップと思って先に進みましょう~!

 

 

 

 

運動は重要だと身をもって知った夏の日

 

こんばんは。ヒーラーのNAORUです。

暑い暑い。まだまだ夏ですね。

 

およそ1年前まで定期的にバレーボールとかバドミントンとかやってたんですが

自由に行動できなくなった期間がありまして

それ以来、3か月に1度のレクレーションバレーの助っ人だけが運動の機会でした。

 

もちろん、からだ改造のためのストレッチはやってたけれど。

 

で、最近どうもいろんなところが調子悪くなる感じがしてまして

当初、クーラーがないのが理由かと思っておりましたが

かつてバレーなど運動した後は調子がよかったのを思い出しました。

 

昔スパルタでしごかれたためにガラスの膝をもつ私。

いい姿勢でやれば膝も腰も痛くならないウォーキングを選択。

 

せっかく歩くんなら、楽しい気分でやれるように、自分が行きたいところまで電車で移動したりして(笑)

暑いけれども、ここ3日間ほど意識して歩きました。

だいたいですが

一昨日は2.5㎞、昨日は4㎞、今日は2㎞。

 

…数字にするとぜんぜん大したことない(笑)

 

しかしまぁ、最近の私にしてはすごい進歩です。

 

 そして、なんとなく悪かった内臓系の調子が良くなっております。

むくみも取れてきております。

 

”若返りたいなら運動だよ”

って言ってた人いたけど、確かですよー

 

いろんな可能性を秘めてることも最近わかってきております。

今勉強中です。

 

母だけ歩かせて若返らせておくわけにいきませんから

楽しんで歩きます♪

 

 

 

良くなろう、治ろうということが大事だと、しつこいくらいに言ってみる

 

こんばんは。ヒーラーのNAORUです。

今日は鳩が羽ばたくで目が覚めました。そしておだやかな休日。

あ、鳩飼ってるわけじゃありませんよ…

 

ここ1週間くらい、世の中の雰囲気に流されて夏休み気分で過ごしていました。

…と言っても大したことはしてなくて

軽いお出かけをちょくちょくしたことと、親といることが多かっただけ(笑)

 

そんな中、嬉しかったことが。

 

ヒーリングを考える上で

良くなろう、治ろうという気持ちが大事」という想いは確かなものになっている。

 

当初そう考えたときに、身近で私が治ってほしいと思う人物が頭に浮んだ。

”ゆるやかに進行していく病” と医者がいう難病を抱える母である。

もう10年くらいはこの病と付き合っている。

 

ただ、私が ”治ってほしい” と思っても仕方がない。

彼女が「治ろう」と思って「治そう」とすることが大事だから。

 

この頃、彼女の体は少しの期間で明らかに悪くなっていたように見えていた。

表情も一気に老け込んだようだった。(病気の症状でもある)

そしてことある毎に

「子供たちはXXXしてくれない」「動けなくなったら面倒見てくれるかねぇ」と。

 

ある時、私は真顔で率直に聞いてみた。

お母さん、動けなくなって私たちに面倒見てもらいたい?

 それとも、今までみたいに動けて趣味を楽しんで暮らしたい?

こんな質問は予想してなかったのだろう、でも真顔で

そりゃぁ、動けた方がいいよ…

 

ここから彼女と色んなことを話した。質問し、想いを伝えた。

あとは私ができる少しのヒーリングを施した。

 

少し経った頃、逆に私が驚かされることになる

自らスポーツジムに通うと言い出した。

今まで教えても三日坊主だったストレッチも、続けているという。

 

そしてまた少し経った頃。

明らかに傾きがひどくなっていた体が、少し良くなっていた。

ジムの若い担当の女性からも「良くなりましたね」と言われたと喜んでいた。

 

そして先日、2人で食事をした。

頻繁に会っているので、目立った体の改善はない。

だけど、

明らかに顔つきが変わった。目の色が変わった。言葉が変わった。

あんなに後ろ向きだったのに。楽しそうになった。

表情が良くなるということは病気の症状が軽減しているということになる。

しかも、ウォーキングも少しはじめたという(笑)

 

じつは彼女がこんなに変わったのは

この間に、長年抑圧されていた心が少し開放されたことも大きいと思っている。

 

このままいけば、本当に治っちゃうかもしれない。

 

まさに

良くなろう、治ろうという気持ちが大事

 

そしてここに至るまでと この先の

心からのアプローチ

体からのアプローチ

この両面を手伝うのが、私たちの仕事。

 

この先が、とても楽しみです。

 

 

 

くすぐったがり屋さんとコリ

 

おはようございます。ヒーラーのNAORUです。

 

小さな頃から母の肩もみをよくしていました。

横になってもらってほぐすようになったのは、ここ10年くらいかな。

 

母の体を触ると、本当にひどいコリであることがわかる。

これは今に始まったことではなくてもう何十年も前からなのだが

本人は昔から、体は痛くても「肩は凝らない」と言っている

 

「凝ってるよ」と教えてあげるのだけど、「えー?そう?」とのたまう。

 

50代で筋肉がだんだん言うことを聞かなくなる病気になった母。

私は就職後、数年前まで仕事で地元を離れていたため

母に地元のマッサージ等を受けるようにすすめ

母自身も整骨院や整体などに通うこともあった。

 

ただ、彼女はものすごいくすぐったがりなので

合わない施術者さんが多いらしく、

私が地元に帰ってからは結局、母をほぐすのは私の役目になってしまった。

 

くすぐったがり屋というのは

その人が敏感なんだとか、その部分を意識してしまうからだとか

そういうことなんだとずっと思っていた。

そしたら、少し前に行って手技に感動したほぐし屋さん(好きでよく行きます)に

母の話をしたら、

くすぐったがりというのはすごく凝りすぎてるからだったりしますよ

と言われて驚いた。

 

あまりにもひどく凝ると、”痛み” を通り越して ”くすぐったい” になるってこと?

 

たしかに、と感じるところが最近あった。

前出のとおり、昔から母の体はガチガチで、かつ超くすぐったがりだった。

私がほぐす分にはさほどくすぐったがらないのだけれども、

それでもたまに「うふふ」と身をよじることがあった。

 

しかし最近はほとんどくすぐったがることはなくなった。

しかも先日、母に初めてのオイルマッサージを施したのだけれども

ほとんど何も言わずに寝てしまった。

オイルマッサージってくすぐったがり屋さんには悶絶なんじゃないかと^^;

 

私的には、私の手技が…と思いたいところだけれど(笑)

彼女の体がほぐれてきたからだとすると合点がいく。

 

なぜかって最近、ちょいと脅かした結果、彼女は肩回りのストレッチをほぼ毎日して

さらには軽いスポーツジムにまで通うようになったから。

きっとコレが功を奏して、ほぐれてきたんだなと思っている。

 

母をほぐすとなぜか私が疲れるので(他の人にやっても疲れません)

くすぐったくないのならどこかいい店見つけてほしいと少しだけ思う…(笑)

この疲れるっていうのも、きっと何かあるんじゃないかと思ってます

 

世のくすぐったがり屋さん。

体触られて「固い!」って言われたことがあるならば、ぜひストレッチをお試しあれ。

 

 

なんとかなる作法

 

最近、方向性は違うけれども似た考えの人間と話をすることができた。

やればなんとかなると思っている」人種の人間だ。

 

それも、私よりも一歩上行く「なんとかなる」度である。

 

そして、本当になんとかなっている

さらになんとかなっているどころでなく、ほどほどいい暮らしをしている。

 

これはなぜかというと、その人間のなーんとなくの希望が

「億万長者」だからのようだ。

 

億万長者を本気で目指しているわけではないようで

なれたらいーなー でもストレスは溜めたくない

と思っている。

 

だから、ほどほどいい暮らしが実現できつつ

この分野においてはストレスを溜めない生活が実現できている。

 

私的に、この「やればなんとかなると思っている」

というのは重要で(自分も基本そんな人間なので)

「なんとかならないかも」と思った時点で、まず前に進む意志が削がれる。

そして、もしがんばって進んでも

「なんとかならないかも」という気持を持ち続けたままだと

「なんとかならない理由」ばかり脳みそが探してしまい

「なんとかならない方向」を選択してしまう。

そしていつのまにやら本当に「なんとかならなく」なってしまう。

 

そして、こんなことを言えるのは、実際に自分が経験したからです。

 

本当は、少しだけ、「自分がやるにはちょっと荷が重いかもな…」

と思っていた分野であるけれども

「まぁなんとかなるかな」と思って事業を始めたことがある。

 

新しいことを始めたら、大変なことが多いのは当然。

ここで、しっかり「やればなんとかなると思っている」ことができれば

もしかしたら違った結果が待っていたかもしれないけれども

「自分がやるにはちょっと荷が重い」というかすかな気持ちが

「なんとかならないかもしれない」に徐々に変わってきた。

 

そうすると、「なんとかしよう」でなくて

「なんとかならない理由」を探してしまい

ことある毎に「なんとかならない」方向に歩を進めてしまう。

そして本当に「なんとかならなく」なる。

先に述べた通りになってしまうのです。

 

ほどほどいい暮らしをしている「なんとかなると思っている」例の人間は

もっといい暮らしを目指して「なんとかなると思っている」分野に突き進んでいる。

きっと本当に「なんとかなる」だろうと思う。

 

今、私自身が進む方向に関しては

なぜか自信を持って「なんとかなると思っている」。

だからきっと本当に「なんとかなる」はず。

 

まぁ、いまここにブログでも書いてのほほんと生活できているだけ

人生「なんとかなっている」んですけどね。

 

今わたしのブログを読んでくださってるあなたも

パソコンとかスマホでのほほんとインターネットとかできてるあたり

きっと同じではないかしら。

 

勝手に仲間にしちゃって失礼いたします☆

 

 

 

「する」「される」「させる」「させられる」

 

おはようございます。ヒーラーのNAORUです。

 

先日、久々に親姉妹と食事に行ってまいりました。

突っ込んだ話ができて、今までにないとても有意義な時間でした。

 

会話の中で、表題の言葉が満遍なく出てきたので記事にしてみました(笑)

 

する」= ”自分が”「する」

される」= ”誰かが” ”自分に”「する」

ついでに言うと

させる」= ”自分が” ”誰かに”「するよう仕向ける」

させられる」= ”誰かが” ”自分に”「するよう仕向ける」

 

普段何気なく使ってますよね。

自分はどの言葉を多く使ってるか、気にしたことありますか?

違うのは主語と、実際に行動する人です。

 

自分が「する」ことは自らの意志で行動している。

逆に「される」 「させられる」ことは誰かの意志での行動です。

 

能動的であるか、受動的であるか。

会話のネタにもよるので一概には言えませんが

「した」が多い方は能動的、なのかもしれません。

「された」「させられた」が多い方は受動的、受け身なのかもしれません。

「させた」が多い方はやや支配的なのかもしれませんね。

 

子供が親に「勉強しなさい!」と言った。結果、子供は勉強した。

 

双方の受け取り方としては色々ありますが、下のような感じでしょうか。

親: 勉強しなさいと言った、勉強させた

子供: 言われた、勉強させられた、勉強した

 

子供の受け取り方に注目すると

勉強させられた 勉強した

2つありますよね。

 

これをどっちに感じるかということです。

 

させられたって思うと

あ~、超やる気なくなるー!

ってカンジですよね(笑)

 

したって思えば

オレってえらい!

って自分をほめたくなるんじゃないかな。

 

まぁだいたい「勉強しなさい」って、自主性を欠く言葉かもしれません^^;

子供の頃には「宿題やったか」くらいは聞かれてましたけど

それくらいだったから勉強嫌いにならずに済んだんだろうなと。

 

親に感謝です。